04/12/21
 ミシガン大学の中国研究:その研究者養成のしくみ
 
中里見 敬
はじめに

 2004年3月から2005年1月にかけてミシガン大学(University of Michigan)アジア言語文化学科(Department of Asian Languages and Cultures)に客員研究員として滞在する機会を得た。1997年に続く二度目の訪問であり、教員や大学院生とファースト・ネームで呼びあえる関係をもてたことは幸運であった。
 
 ここでは、日本の我々にとっても関心のある、アメリカの大学における研究者養成のしくみ、とくに大学院生から若手研究者の状況について主として報告し、教員の状況についても多少触れたい。私の専門は中国文学だが、人文・社会科学全般に共通する点も少なくないかと思う。印象をひとことで言うなら、短期集中度の高さである。そして、短期集中の積み重ねによって、中期・長期の目標に到達するしくみになっている。そのあたりから具体的に見てみよう。
 
ミシガン大学風景


大学院生:コースワーク

 授業は一週間単位で異なるテーマが設定されており、学生は立ち止まる暇もなく、次々に与えられる参考文献に取り組まねばならない。つまり、短期目標が毎週明確に設定されているのである。大学院のセミナーは週に一回の授業で三時間、学部の高学年では火曜と木曜に一時間半ずつ、学部低学年は月・水・金曜に一時間ずつといった形態が多く、低年次学生に対してはよりいっそう短期的に目標を定めて、動機づけの低下を防いでいるといえよう。月曜は教員の講義、水曜は学生の発表とそれに対する質疑、金曜は少人数のグループに分かれて大学院生ティーチング・アシスタント主導の討論というように、低年次に対しては異なる授業形態によって理解の深化と知識の定着を図っているように見える。こうした短期目標は学生に対してだけでなく、教員に対しても緊張を維持させるように作用している。金曜夜から土曜にかけてひとときの解放感を味わったあとは、日曜にはもう翌週の課題にとりかからねばならない。図書館の開館時間がそうした生活サイクルを反映しているのは当然とはいえ、興味深いことである。(図書館の開館時間→Select a buildingからHarlan Hatcher Graduate Libraryを選択するか、List all hoursを見る)

 一週間ごとの短期目標に追われる大学院生にとって、中期目標は十五週で完結する一学期のコース修了ということになろう。さらには、授業での単位取得を中心としたコースワーク(最初の二年間で24単位以上、修了までに36単位)、大学院二年目の指導教員団による中間審査、博士論文執筆資格(Ph.D. Candidate)審査、博士論文の提出というぐあいに、中期的な目標を達成していくことにより、長期目標(博士学位取得)に近づいていくようになっている。
 
 大学院生の場合、授業の履修は一学期あたり二科目ないし三科目程度が一般的で(必要に応じてさらに外国語科目)、四科目となるとかなりきついだろう。毎週三時間の授業で一学期三単位という計算なので、これで上記の修了要件を満たすことができる。日本の大学では、同時にあまりにも多くの科目を履修しすぎるために、かえって効果があがらないということはなかろうか。その点、アメリカの方式では、一学期間その科目を履修することにより、当該分野については基本文献の読解から、専門的なトピックスまで、まさにディシプリンの全体を広く深く学ぶことができ、その分野に関して飛躍的な知的成長が期待できる。もちろんそのためには、教員による周到なシラバスの準備が前提となっている。なお、教員のノルマが週六時間、つまり一学期に二科目のみの開講であることは、入念な準備を可能にする重要な要素である。
 

Harlan Hatcher Graduate Library


大学院生:博士論文執筆
 
 日本では雑誌論文を発表しながら数年かけてじっくりとまとめあげていく博士論文の執筆も、アメリカでは短期集中とよぶのがふさわしそうだ。もちろん中国研究の場合、長期の留学が一般的であるし、下準備に長い時間をかけていることはいうまでもないが(Ph.D. Candidateですでに30才代のことが多い)、実際の執筆期間はたいてい半年から長くても一年程度のようである。
 
 博士論文の準備段階で、大学院生は各種のグラントを取って調査研究を行う。人類学や社会学はいうまでもなく、政治学や歴史学などでもグラントによって長期の現地調査を実施して、それをもとに博士論文をまとめるのが一般的である。文学のような文献研究の場合も、海外留学のグラントを取ることがふつうである。大学院生向けのグラントをどれくらい用意しているかは、一流大学の条件といえよう。ミシガン大学では、Center for Chinese Studiesが学科を越えて中国研究に関するグラントの情報を提供しており、さらに各地域研究センターを統合するInternational Instituteも総合的に情報を収集・提供している)。そこにはどれに応募するか迷うほどのグラントがならべられており、センターのニューズレターには各学期にグラントを取得した院生や教員が紹介されている。また、学期末レポートの中から最優秀のものを表彰するといったことも行われている。グラントや受賞によって大学院生の動機づけを高め、評価を行い、研究歴を積ませるしかけになっているのである。
 
 こうした段階をへて、いよいよ博士論文の執筆である。主査の教員によって指導のしかたはいろいろあるだろうが、私の接した大学院生の場合、毎週一回、日時を決めて教授に会って、その週に書いた原稿について指導を受けていた。引用文献の翻訳と立論とを隔週に行い、電子メールで送った草稿をもとに議論や修正を進めるのである。こうした濃密な指導は夏休み中も断続的に行われ、たとえば二ヶ月に一章ずつ仕上げるといったペースで書き上げるのである。この間、授業を履修することは不可能に近く、論文執筆に専念する例が多いようだ。ここでも短期的・中期的に緊張を維持する指導法がとられているのがわかる。
 
 日本では、中国語学文学担当の教授は、その全分野の博士論文を指導することが多いように思う。私自身、古典白話小説の論文を唐宋詩詞が専門の先生に見ていただいた。だが、アメリカでは博士論文と主査の専門分野はよりマッチする必要があり、私のような例は認められないという。こうした指導体制が組める条件として、各学科におけるバランスのとれたファカルティ配置(ミシガン大学の中国語学文学は、古代漢語・漢代文学・唐宋詩詞・明清小説戯曲・近現代文学に各一名)、テニュアがあれば副教授(Associate Professor)でも主査になれること、さらには何が専門の教授につくかを明確にして大学院に進学すること(通常、学部卒の大学とはちがう大学院に進むため)などがある。それでも指導教員と論文のテーマが一致しない場合は、コースワーク修了時にいったんM.A.の学位を取って、他の大学院に編入することも行われている。

School of Social Work Building    
International Instituteが入る。


大学院生:職探し

 博士論文の執筆と並行して行われるのが、職探しである。日本のように随時、公募が出されるのとは違って、アメリカの大学ではかなり年中行事化した労働市場が成立している。毎年、秋に公募が出され、電話インタビューや、冬から春にかけて開かれる学会で応募者の数人と会ってのスクリーニング等により、絞りこまれた数名がJob Talkに招かれる。これは旅費・食費とも採用する大学側が負担して、複数の候補者を別々の週に招き、講演、選考委員会との全体および個人面接・会食、大学院生との懇談といった一連のプロセスをとおして、候補者の学問だけでなく全人的な資質を評価しようとするものである。ミシガン大学の場合は足かけ三日ほどの訪問ですむことが多いようだが、格式の高い大学では一週間近い日程が組まれるという。どの候補者を同僚として迎えるかは、学科全体の大きな関心事であり、講演には学科のほとんどすべて教員・院生が顔をそろえて、熱心に耳を傾けることとなる。制度的には選考委員会、とりわけ学科長に大きな権限があるにせよ、全体の合意形成とアカウンタビリティのために最大限の努力がはらわれているといえよう。
 
 なお、博士学位取得と同時にテニュア・トラックの助教授(Assistant Professor)になる以外に、ポストドク(Postdoctoral Fellow)として研究や教学の経験をつみ、翌年以降改めてファカルティのポストをねらうという選択肢もある。ポストドクには、当該大学の出版会からの博士論文の公刊にむけて原稿完成に専念させるものと、助教授並みの教学を課すものとがあり、いずれも任期の限られたポストである。ポストドクは一流の研究大学によって提供されるプログラムであるために、公募により母校以外に赴任するのが通例であり、それが若手研究者の履歴として高く評価されることはいうまでもない。公募情報はAssociation for Asian Studiesのような学会によっても提供されている。ちなみに、Association for Asian Studiesの興味深い取り組みとして、博士論文のための研究を支援するワークショップがある。今年は「宗教と政治」と題して十二名の大学院生を募集している。
 
 日本にはない制度として、博士取得後または博士候補の院生が、夏季コースなどで自ら設計した科目を、学科の承認のもとで開講し、教学経験を積むことも行われている。また、外国語科目や学部低年次の科目は大学院生がGraduate Student Instructorとして教えることが多い。こうした教学の機会は、一定の条件を満たせば学費免除にもつながり、経済的に自立することが可能である。研究奨学金とならんで、側面からの重要な研究支援だといえる。

 なお、ミシガン大学の外国語科目は、ネイティブ・スピーカーの講師(Lecturer)が中心となって担当している。Lecturerには、学科内の行政に関与するかどうか、次年度以降の身分が保証されているかどうかによって、四段階のレベルがあり、日本の雇用打ち切りを前提とした任期制とは異なる点に注意したい。テニュア・トラックの教員はもとより、講師の場合も、教学と研究の熱意が評価されれば働き続けることが可能なのであり、教員にインセンティブを与えている。外国語科目をどの身分の教員が担当するかは一様ではなく、プリンストン大学ではテニュアの教授陣も中国語を教えているそうだが、これは研究大学では例外に属する。逆に、教養型大学(Liberal Arts College)では、一人の教員が専門科目と外国語を区別せずに教えることが多いようだ。教養型大学も、名門校ではロー・スクールやメディカル・スクール進学率が高いなど、少人数で高度な学部教育を行っていることは日本ではあまり知られていない。就職する際には、研究大学に職を求めるか、学部教育に特化した教養大学で教学に重点を置くかは、大きな選択となる。(たとえば、US News誌では研究大学と教養大学に大別してランキングを行っている。)


Frieze Building
Department of Asian Languages and Culturesが入る。


若手教員:テニュア取得まで

 Be a dedicated teacher, a productive scholar, and a good colleague"とは、ある教授からJob Talkに臨む心得として聞いたことばである。教学・研究・学内外の委員会業務の三つが大学教員の主要な仕事であることは、日本と変わらない。しかし、それぞれの内容についてみてみると、多少の違いがあるようだ。授業については、最近かなり知られるようになっているので、参考文献として、苅谷剛彦『アメリカの大学・ニッポンの大学 : TA・シラバス・授業評価』(町田:玉川大学出版部, 1992)をあげるにとどめておく。ミシガン大学の大学院での最近の傾向としては、インターディシプリンを重視して、二人の教員で一つの授業を教えることが奨励されており(リレー式ではなく二人の教員が教室にいる)、日本文学と中国文学、中国美術史と中国古典文学といった組み合わせが実際に行われていた。
 
 若手教員の研究面での最大のプレッシャーは、テニュア取得のための出版である。通常、テニュア取得には著書一冊、一流大学では著書二冊以上を条件とすることが多いようだ。一九九〇年代は出版助成が比較的潤沢にあったが、近年それが削減されて、出版は以前より難しくなっているという。しかも、就職後五年から七年程度の間に出版しなければ、テニュアを取れずに、その大学を去らねばならないのである。まさに"Publish or perish"である。一流大学の教授陣は四十代前半くらいまでにこれだけの仕事をなしとげるので、テニュア取得後もプロダクティブな人が多いようだ。

 別の面から見ると、学科には若手教員を育ててテニュアをとらせようとする雰囲気がある。行政面での負担は主としてテニュア教員が担うし、複数教員による授業は、若手教員に対するメンター制度としてもうまく機能しているように見える。


教授:テニュア取得後

テニュア取得後の状況については、興味深かった点を二つだけ述べたい。まず、大学院生の指導についてである。院生の側から見た指導法は上述したとおりだが、教員側から見ると、多数の博士論文を同時に主査として指導することはほとんどないので、一人の院生に対して十分な指導にあたることが可能なのである。中国研究の教員の場合、おおむね三年から五年に一人の割合で博士論文を見ればいいようである。たとえば、Department of Asian Languages and Culturesの教員数大学院修了生を比較してみるとよい。これは中国学がとくに不人気な専攻であるからというわけではなく、社会学や人類学といった分野でもそれほど大きく事情は変わらないようだ(たとえば、人類学科の教員大学院修了生を参照)。ミネソタ大学で社会学を教える知人によれば、社会学科には教員が28人もおり、4名程度で構成される日本の大学の社会学講座とはまるで規模が違うという。
 
 教授、とくに一流研究大学の教授にとって大きな比重を占めるのが、出版社から依頼されるレビュー、および他大学の教授昇任審査・テニュア審査だという。欧米の本には、裏表紙に署名入りの紹介・批評文が掲載されているが、なぜ刊行前にこのように要を得た紹介が書けるのか不思議に思っていたが、これがレビューの一部であるわけだ。出版社も大学の人事委員会も、その分野で著名な教授に審査を依頼するので、一流大学の教授にとって実はこの仕事が一番時間と労力をとられてきついのだという。その話を私にしてくれた教授は、それは教授職の当然の責務であるという口ぶりであったのが印象的である。副教授以下と教授の大きなちがいは、教授は自らの属する学問分野全体にわたって、研究書出版と教授職をめぐって学外での評価にたずさわり、それをとおして学問と学界全体に貢献することが期待されている点だといえよう。(たとえば、University of WashingtonのTani E. Barlow教授(中国史・女性学)のC.V.には、Organizational, Editorial and Related Serviceの項に学外での審査歴が多数列挙されている。)
 
 こうした人事や出版のしくみをリスク管理という観点から見直してみると、巧妙に責任の所在を分散して、予想される不服提訴に備えているようにも見える。かりにある教員に問題が生じた場合、学生による授業評価や、学外審査委員会の評価を利用することにより、同僚は同僚としての関係を維持したままで、処遇を決定することが可能なのである。そのあたりの機微は、短期の滞在ではとうていうかがい知ることのできなかった点である。しかし、日本でも権力と同時にリスクをも一身に背負うような教授像は過去のものとなりつつあるのかもしれない。だとすれば、なるほどアメリカのリスク分散型の評価のしくみは参考になるように思う。

West Hall
Department of Anthropologyなどが入る。
おわりに
 
 授業において異なる学科の教員がチームを組んで、インターディシプリンを目指すことが奨励されていることは上に述べた。ミシガン大学ではさらに、Center for Chinese Studiesのような組織が、毎週の講演会などをとおして、研究の拠点として学科横断的に機能している。一方で、教員は伝統的な学科に所属して、基本的な科目を教えることを主たる職務としている。それに対して、日本の状況はどうだろうか。部局が組織としてのインターディシプリンを標榜するあまり、専門分野からいえば本来同一学科に所属すべき教員が多部局に分散してしまい、ディシプリンの訓練を必要とする肝心の大学院生や若手研究者が所属部局の限られた人的資源にしかアクセスできない、また体系的な学科の科目をそろえることすら困難だという問題が、多くの大学であるように思う。私の勤務する九州大学では、中国語学文学の教員は、人文科学研究院・比較社会文化研究院・言語文化研究院・高等教育総合開発研究センターに分散している。全体としてはミシガン大学の中国研究ファカルティに劣らぬ陣容だと自負するが、その陣容総体で教育にあたる体制は整っていない。こうした制度的な不備は、数十年単位で見たとき、研究活力を大きくそぐことにならないかと危惧する。しっかりとした学科組織(上述したファカルティ数と院生数の比率も含めて)とともに、ディシプリン間の対話を促す環境は、アメリカの大学の強みだといえよう。
 
 近年、日本の大学改革の文脈において、アメリカの大学がとりあげられることが少なくない。しかし、それは主として経営的関心からのものが多いように感じられる。そこで本稿では研究者の立場から、あえて卑近なレベルでの関心に即した報告を試みた。こうした日常的な研究支援の環境が、結果として研究成果を左右する最大の要因だと考えるからである。
 
 今回のミシガン大学滞在中に、大統領選挙が行われた。その同じ投票用紙には、州の最高裁判事や市長などとならんで、州民が州立大学の評議員を投票する欄があった。そして評議会は一般に公開されている。こうしたもっとも基本的な理念にかかわる部分が、日本の大学改革において抜け落ちていることの意味あいは、かみしめておくべきかもしれない。
評議会風景
正面にMary Sue Coleman学長。左上奥に傍聴席。

 
 
(九州大学言語文化研究院助教授)